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水のコラム

水道と下水道の歴史をひも解く┃水道と下水道の始まりと時代ごとの遷移


私たちの生活に欠かせない水道と下水道が、いつ誕生したかご存じでしょうか?

水道がなかったころ、井戸や川の水をそのまま飲用水や生活用水として使用していました。
雨が降らず渇水に悩まされたときには、遠くの地まで足を運ぶこともあったでしょう。
移動手段も人の足が主流だった時代、水の運搬は容易ではありませんでした。

下水道がなかった時代、汚水を原因とした伝染病が大流行し、多くの人が亡くなりました。

現代の水道と下水道の設備は、数多の時代を経て、今の形へとなったのです。

上水道の歴史

日本の上水道は、今からおよそ400年以上前の天正18(1590)年に造られました。
以降、上水道は発展し、現代に至ります。

日本最古の上水道

天正18年、将軍徳川家康は江戸入府にあたり、家臣である大久保藤五郎に命じて上水道の着工を始めました。
大久保藤五郎は小石川(東京都文京区小石川)を水源と定め、日本最古の上水道である「小石川上水」を造ったのです。
小石川上水に関する詳細な情報は残っておらず、天正日記が唯一詳しく記載されている文献だと考えられています。

人口の増加など、江戸が発展すると小石川上水だけでは水が足りなくなり、井の頭池や妙正寺池、善福寺池などの湧き水が水源となる、「神田上水」が寛永6(1629)年に造られました。

大久保藤五郎はこれらの功績により、徳川家康から主水(もんと)の名をもつ名馬を授けられます。

玉川上水の誕生

承応元(1652)年、江戸幕府は多摩川の水を水源とした、上水道を開設する計画を立てます。
工事担当は庄右衛門と清右衛門兄弟に任され、工事責任者は総奉行に老中松平伊豆守信綱、水道奉行に伊奈半十郎忠治が任命されました。

玉川上水は承応2(1653)年4月4日に着工し、約8か月後の11月15日に完成します。
玉川上水の規模は全長約43kmにのぼり、標高差約9mの緩勾配と言われており、羽村取水〜四谷大木戸まで素掘りで水路が造られたのです。

承応3(1654)年の6月には、虎ノ門までの地下に石樋と木樋による配水管が造られ、江戸城だけではなく、四谷や麹町、愛宕下、八丁堀など、京橋方面の南西部一体へ給水されるようになりました。

これらの功績により、庄右衛門と清右衛門兄弟には玉川姓、永代水役、200石の扶持米が与えられます。

玉川上水はその造りから分水が可能でした。
最初に、川越城主松平信綱の要望で、野火止用水用水として分水され、その後、青山上水・三田上水・千川上水にも分水されましたが、寛文7(1722)年に突如廃止となります。
この理由には、水道の維持が財政難で困難になったこと、江戸の大火災が水道から起こったことなどが原因として考えられているでしょう。

近代水道への発展

明治維新により、慶応4(1868)年に江戸は東京に変わりましたが、水道は江戸のままの玉川上水が利用されていました。

江戸では運輸は船で行われており、船は人馬よりも圧倒的に運輸の力があったため、地元の有力者から玉川上水を運輸に利用したいと申し出がありましたが、幕府は玉川上水の水質悪化を懸念しそれを棄却します。

しかし、明治維新後の新政府は玉川上水を運輸に利用することを承諾し、明治3(1870)年より、羽村〜内藤新宿まで運輸で利用されました。
しかし、玉川上水の水質悪化が認められたため、明治5(1872)年に玉川上水を運輸に利用することは禁止されたのです。

明治は貿易が活発な文明開化の時代となりましたが、コレラが流行することも多く、人々は死亡率の高いこの伝染病に苦しむことになります。
明治18(1886)年のコレラ大流行では感染者数が15万人を超え、死者は10万人を超えたと言われているのです。

コレラは悪化した水質が原因の一つでしょう。
水道の整備は江戸から発展がなく、水路はどんどん腐敗していきました。
当時はろ過といった浄水技術もなかったため、汚水が上水に入り込むようになり、飲用水と生活用水は汚染されていきました。

コレラの大流行が、水道の発展を促したと考えられています。
明治20(1887)年に、ろ過で水質の処理を行ったきれいな水をポンプで送水する現代水道が、横浜で始まりました。
その後、大阪や神戸、東京、函館、長崎などこの方式を取り入れる地域が増え、水道が急速に敷かれていきます。

明治は大火災も多く、この大火災も近代水道への発展を助長したと考えられるでしょう。

大阪の上水道の歴史

大阪は淀川などの河川に恵まれているため、水の都と呼ばれています。
これらの河川は水道ができるまで、大阪に住んでいる人々の飲用水や生活用水として利用されてきました。

しかし、全国的に大流行したコレラと頻繁に起こる大火災は、大阪の水事情にも影響を与え、衛生面と防火面の観点から水道が強く望まれることとなります。

明治28(1895)年11月13日に、旧淀川左岸にある桜の宮に水源地が造られ、大阪城内の排水池から自然下流を利用した給水が始まりました。
この水源地は拡張工事を9回実施し、設備の更新なども行われ、平成12(2000)年3月には政令指定都市として初めて、高度な浄水処理が施された水で、大阪市内の給水量の100%を賄うことになったのです。

下水道の歴史

日本で最初に造られた下水道は、明治17(1884)年に造られた「神田下水」です。
しかし、下水道の起源は弥生時代まで遡ります。

弥生時代~奈良時代

今から約2,000年以上前の弥生時代に、環濠集落という周囲に堀を張り巡らせた集落がありました。
大阪府和泉市にある池上曽根遺跡では、人口が増加した弥生時代の中期、排泄物や下水を環濠に垂れ流すシステムが確立されていたと、研究で分かってきたのです。

奈良時代には平城京の町中に網目状の排水路を張り巡らせ、排泄物の水洗処理を行っていました。

安土桃山時代

安土桃山時代に入ると、豊臣秀吉が大阪城を建築した際に、下水道も同時に造りました。
大阪にお住いの人は「太閤(背割)下水」という言葉に馴染みがある人もいらっしゃるのではないでしょうか。

太閤下水は石積みの下水溝で、天正11(1583)年に着手されました。
大阪城の城下町は東西の横堀川に囲まれ、大阪城に向かう東西の道が軸となり碁盤の目のように区切られたのです。
このとき、道路に面した建物の背中同士の間(裏口)に、下水溝が掘られたことが、背割の由来と言われています。
また、豊臣秀吉が太閤秀吉と呼ばれていたこともあり、太閤下水と名付けられました。

大阪市に文化財として指定されている太閤下水は、令和5(2023)年5月1日から無料の見学を再開しています。
見学をご希望の人は、(一財)都市技術までお申し込みください。
参考:公式サイト

明治時代

明治時代は急速な時代の繁栄に伴い、人口も急激に増加しました。
人口が増加することで排泄物の量が増え、雨が降ると汚水が溜まるようになってしまったのです。

大流行したコレラや赤痢などの伝染病は汚水が原因のため、深刻な下水処理問題が起こり、状況を重く受け止めた明治政府は、現在の東京都千代田区有楽町に位置する当時の東京府に、「水道溝渠等改良ノ儀」を進言しました。
これにより、明治17(1884)年に神田地区で下水道事業が開始されます。
このときに造られたのが、近代工学に基づいて設計された神田下水です。

神田下水は下水道管の断面が、鳥の卵を逆さにしたような形の卵形管をしており、管内の下水量が少ない場合にも深い水深となるため、ゴミが堆積しにくい設計です。

大正時代

大正11(1922)年3月に、日本最古の近代下水施設である「旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプ)施設」の運用が開始されます。
隅田川中流に位置し、米元晋一を中心として建設が進められた、東京市区改正事業の一環です。

旧三河島汚水処分場喞筒場では、ろ過素材の表面に形成された生物膜と接触すると反応する固定床を用いた、散水ろ床法が使用されています。
その後、昭和5(1930)年に活性汚泥法による処理が名古屋で採用されたのです。
活性汚泥法は近代的な下水処理法で、微生物が用いられます。

法律の制定

水道と下水道の発展により、法律が制定されました。

水道には「清浄」「低廉」「豊富」の三原則があり、昭和32(1957)年に施行された水道法に則りできた原則です。
水道法では水質や施設の基準、水道事業に関する基準、国内に水道を滞りなく普及させるための基準、水道の目的・責務などが定められています。

下水道法は水道法よりも早い、明治33(1900)年に制定されました。
このときの下水道法は、現行の下水道法が施行された昭和33(1958)年に廃止しています。

現行の下水道法には、公共用水域の水質安全保全についてや、公衆衛生の向上について定められているのです。

まとめ

現代日本の水道の普及率は約98%と言われており、世界規模でみると驚異的な数字で、日本が水道に恵まれていることが良く分かる統計です。

水道は浄化施設でろ過されたきれいな水を給水しているので、日本では水道水を安心して飲用することができますが、もし水道が普及していなければ、現代でも細菌などが含まれている恐れがある水を飲用していたかもしれません。

下水処理施設がなければ、今も町中に溢れる汚水や、汚水が発する臭いに悩まされ、コレラなどの伝染病にも苦しんでいたかもしれません。

水道の歴史は、私たち日本人が安心安全に水道を使用した日々を送れるようになるまでの歴史でもあります。
大阪府大阪市東淀川区芝島にある「大阪市水道局 水道記念館」では、水道の歴史や水道の仕組み、江戸時代の暮らしにまつわる水事情などについて見学することができます。
入場料は無料、土日祝や12月〜2月の冬季を除き営業しているため、見学をご希望の人はお問い合わせください。
参考:公式サイト

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そのため、不具合が起きてしまうと、生活に大きな影響が出てしまうでしょう。

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